無償資金によるFAOプロジェクトへの支援(その10)

                元FAO日本事務所長

                 橋 梯二

1FAO事業に対する無償資金からの支援要請

前回は、FAOの緊急救済プロジェクトに対する日本政府からの支援について説明したが、食料安全保障確保のためのFAOの中核となるプロジェクトは、食料安全保障特別事業などの農業開発プロジェクトである。

 外務省は経済局所管の信託基金(トラストファンド)によってFAOの農業開発プロジェクトに対する支援はしていたが、分担金を確保するため、1998年度からこの予算が廃止されてしまった。また、経済協力局の無償資金からのFAOプロジェクトに対する支援は長い間行なわれていなかった。日本の無償資金協力は、二国間ベースで行うことを原則とし、世界食糧計画を通ずる食糧援助と緊急無償以外は、国際機関を通して行うことは非常に少なかった。緊急無償はUNHCR,UNICEF、WFPなど国連事務総長の直接の指揮下にある機関に対して行われていた。食料に関しては、WFPの食糧援助に無償資金を多く使用するので、FAOのプロジェクトに対する支援は行われてこなかったのである。また、外務省に緊急無償以外に年間200億円を超える食糧増産援助(KRII)があったが、アフリカ諸国やアジア諸国からの要請に基づいてバイの援助が行われていた。

 FAO日本事務所は、人間の安全保障基金からの支援が2000年から得られることになったのに伴い、年間約2400億円(2000年度)ある外務省無償資金からのFAOプロジェクトに対する支援が受けられないか検討を始めた。まず、東チモールの穀物種子生産プロジェクトについて経済協力局に支援を打診してみた。しかし、無償資金からのFAOに対する支援は行われた例がないこと、無償資金は原則として二国間ベースで行われるものであること、さらに、国際機関を通じて協力が行われると日本の顔が見えにくくなるおそれがあることなどの理由から受け入れてもらえなかった。

 しかし、日本事務所は、FAOのプロジェクトが提案されるたびに無償資金協力課を訪問し、どのようにすれば支援が可能か協議を重ねた。また、FAO本部技術協力局のフォーブスワット部長、バウアー課長、コバキワル課長などが訪日するたびに無償協力資金課を訪問して要請した。

2001年になって無償資金協力課は、FAOに対する支援をKRIIで行う用意があると回答し、具体的なプロジェクトに即して検討していくことになった。その際、KRIIは従来の肥料、農薬及び農業機械の供与に加え、種子などを追加し、さらに、農業技術指導などのソフトコンポーネントを加えるなど従来より柔軟に対応していくことも検討していると伝えてきた。

2001年12月第3回東京アフリカ開発会議(TICADIII)に向けた閣僚準備会合が東京で開催され、FAO本部から出張してきたコバキワル技術協力局課長が無償資金協力課を訪問した際には、KRIIの予算執行状況を見つつ、年度末にFAOのプロジェクトの支援を決定する用意があるとの回答を得た。

 

食糧増産援助(KRII

KR」とはケネディラウンドの略である。1964年から1967年までのGATTケネディラウンド交渉において関税引き下げ交渉や割当制度の撤廃交渉とは別に小麦交渉が行われ、最終的には食糧援助規約を含む国際小麦協定が締結された。この食糧援助規約に基づく食糧援助が「KR援助」と呼ばれている。第2次大戦後、主としてアメリカがバイによる食糧援助を実施してきていたが、食糧援助規約によって毎年少なくとも約500万トン(99年規約)の小麦等の食糧援助を先進国で分担して実施することとし、資金を参加先進国で負担することとなった。日本の分担は30万トン(小麦換算)とされたが、日本は小麦にかえ、米あるいは被援助国が希望する場合はその他の農産物で援助が行えることとした。

なお、国連の食糧援助機関である世界食糧計画(WFP)は1963年に設立され、1974年頃から業務が本格化しており、日本のKR援助は一部WFPを通じて行われている。

日本の戦後賠償もほぼ終了した1997年に、日本は食糧援助のみでなく、開発途上国の食料を増産させるための援助を行うことを決定し、肥料、農薬及び農業機械の農業生産資材の供与を無償で行うこととした。これが「KR援助」続くものとして「KRII」とよばれ、正式には「食糧増産援助」とよばれている。KRIIは、これら農業資材調達に必要な資金を開発途上国に供与し、開発途上国は、資材を国際市場等から調達して農民に供与したり、国内市場で販売したりすることができることとした。国内市場で販売した代金は、被援助国が積み立て(見返り資金)、自国の農業開発等に使用できることとした。見返り資金はアメリカの食糧援助でかつてとられていた方式であった。「KRII」は年間250億円を超える予算規模(1999年以前)を持ち、日本の肥料、農薬あるいは農業機械の輸出にも貢献した。

 

2 KRIIに対する批判

2000年前後から、KRIIに対する内外の批判が高まっていた。KRIIは、農業資材の供与後のフォロー体制が十分でなく、資材が本当に必要としている小農などに供与されているのか、農薬や肥料が適切に管理され、有効に利用されているのかなど確認ができていないこと、また、見返り資金は被援助国の資金となることから資金の適切な使途についてコントロールできないことなどが主な批判の内容であった。特に、農薬については必要以上に多く供与され、アフリカやアジアで未使用のものが放置され、環境に悪影響を与えているほか、人間の健康も脅かされている例もあると批判された。

当初は、国際開発に関する学者などの論文で批判されていたが、次第に国際協力に携わっているNGOが問題点を指摘し始めた。2001年頃から国会での質問が行われるようになり、同年12月には辻元清美衆議院議員が質問趣意書を国会に提出した。2002年になると「モザンビーク洪水被害支援ネットワーク」等がKRIIを問うネットワークの設立を2月に呼びかけ、KRIIあり方を問い、廃止を含めた見直しを政府に働きかけるための市民・NGOのネットワークが形成された。

FAOはかねてより、農薬の使用を極力少なくする総合防除(IPM、Integrated Pest Management)を重視し、総合防除の開発と開発途上国への普及に努めていた。また、北欧諸国からの支援を得て、アフリカ諸国に放置されている未使用農薬(Obsolete Pesticide)の処分に関する事業も推進していた。また、開発途上国の未使用農薬に関する調査も行っており、この関連で日本のKRIIが未使用農薬が放置されている原因の一つであるとされていることも指摘していた。

このような状況の中で、日本事務所は、日本政府とFAOとの方針との間で微妙な立場に立たされることになった。日本事務所はFAO本部農業局バンデルグラフ課長に対し、KRIIに関してFAOのコメントを出す際は慎重にしてほしいとの要望を、日本におけるKRII問題の状況報告とともに行った。しかし、本部からの回答はなかった。

3 KRII批判に対する外務省の対応

外務省としてもこのようなKRIIに対する批判に対応して、そのあり方について検討を開始した。検討はできるだけオープンで透明性を確保することとし、NGOとの対話も始めた。また、同時期に外務省を変える会の検討が行われており、KRII問題も議題となった。2002年7月に出された最終報告では、食糧増産援助の被援助国における実態について、NGOなど国民や国際機関からの評価を受けて情報を公開するとともに、廃止を前提に見直す。」とされた。

この報告を受け、2002年12月外務省はアフリカとアジアの被援助国に調査団を派遣してKRIIの実施に関する評価を行った。FAOの国別事務所も調査団の訪問を受け、その評価を伝えた。これらの検討を経て、同年末に外務省は、以下のような検討結果を発表した。

(1)     農薬の環境に対する影響及びその適切な使用を考慮し、外務省は、原則として農薬の供与を行わないこととする。また、国際機関がその責任において開発途上国に対して農薬を供与する場合においては、国際機関と協議して農薬の供与についての可能性を検討する。

(2)      外務省は、肥料等の農業資材を供与するに当たっては、ニーズと実施方法の詳細な調査を行い、また、監視と評価方法を確認する。

(3)           KRIIの予算は2003年度において前年度に比較し60%カットする。

また、外務省は、KRIIは、資材の供与のみでなく、ソフトコンポーネントを含む事業にも供与できる制度に変えて、開発途上国の食料増産に有効に対応していくこととし、この方針をNGOにも説明し、また、FAOにも伝えてきた。

なお、KRII予算は、政府の財政難からODA予算の削減が始まった頃から(ODAの削減は2000年度から、KRIIの削減は1999年度から)削減が始まり、2002年度にほぼ半減し、2003年度はさらに60%のカットが行われた。従って、1999年度に約254億であったものが2003年度には約50億円となり、現在に至っている。

4 無償資金協力における外務省とFAOとの連携の構築

FAOとしてもかねてより、食糧援助は緊急事態の場合は必要であるが、恒常的に食糧援助に頼っていたのでは、食料の増産の意欲が阻害され、根本的な食料問題の解決にはならないとの認識からインフラ整備や技術の移転が重要と主張していた。従って、日本の援助の中でも食料増産に関する資金が減少することに懸念していた。

外務省としては、KRIIを効果的に継続して行くには、被援助国からの要請のみに頼らず、FAOなどの国際機関との連携を強め、食料安全保障や農業開発のあり方などについての意見交換を行い、内外からより客観的で効果的と見られる援助の実施をしていくことが必要と認識するに至った。特に、アフリカの貧困解消と飢餓からの解放がG8サミットなどで議論されており、アフリカの農業開発について知見の少ない外務省としてはFAOとの連携を強めることが必要と考えるようになった。

このような状況から、外務省は農業開発に関する無償資金協力などあり方についてFAOと定期的な協議の場を設けたいと打診してきた。日本事務所としてもこの情報を本部に伝え、定期協議の設立の準備に入った。2003年1月に小原無償資金協力課長がFAO本部を訪問し、ハチャリック次長、カルサラード技術協力局長、フレスコ農業局長らと会談し、FAOと外務省との連携に関して概要次のような合意に達した。

FAOと外務省は、共通戦略の下で両者の協力メカニズムを改善し、新しい効果的な援助実施方式を検討することとする。特に、新しい無償資金協力のガイドラインにより支援されるべきプロジェクトや活動についてのフレームワークを改善することとする(FAO本部議事録より)。

この結果を受けて、2003年6月ローマにおいて山田無償資金協力課長が出席してFAOと外務省の無償資金協力に関する最初の定期協議が行われた。

5無償資金からのFAOプロジェクトに対する支援の開始

 以上のFAOと外務省の連携の強化により、FAO提案のプロジェクトに対して無償資金からの支援が始まった。最初は、アフリカにおける未使用農薬の処理に対する支援の検討から始まった。FAOとしては農薬処理プロジェクトに対する支援を日本にも要請していたが、従来は未使用農薬が生じるのは被援助国の責任であるとして支援をしてこなかった。しかし、KRIIに対する批判が高まっていることもあり、未使用農薬処理に対して支援を開始することとした。最初に支援を決定したのはモザンビークの未使用農薬の調査と処理に関するプロジェクトであった。また、内戦から難民が発生していたアンゴラにおける緊急食料生産プロジェクトであった。このようにして2002年からようやく外務省無償資金からのFAOプロジェクトに対する支援の道が開けた。

 その後の支援されたプロジェクトは以下のとおりであるが、今後、FAOが日本にとって興味のあるプロジェクトを提案すれば、日本のODAが減少する中にあっても無償資金からのFAOに対する支援は確実に増加すると確信した。

       無償資金からのFAOプロジェクトに対する支援

            (2003年8月まで)      

 2002

アンゴラに対する緊急救済プロジェクト

モザンビークにおける農薬処理プロジェクト

単位千ドル

1,014   

850 

 2003

アンゴラに対する緊急救済プロジェクト

・モンゴルにおける食料供給プロジェクト

・エチオピアにおける農薬処理プロジェクト

 

1,300  

1,983 

1,500

合計

6,647

6NGOとのKRIIに関する対話への参加

 外務省の要請により日本事務所は、外務省が主催するNGO、国会議員、被援助国の大使らとのKRIIのあり方に関する協議に参加することとし、2003年6月の協議に参加した。日本事務所は本部からの訓令に基づき、近年農業開発に関するODAが減少する中で、この傾向を反転させなければ、1996年の世界食料サミットの栄養不足人口半減の目標を達成できないことを説明した。その上で、KRIIの重要性を指摘し、KRIIに問題はあったとしても、その問題点を改善する方向で外務省は検討を進めているので、FAOとしてもKRIIが継続され、強化されていく必要性を指摘した。また、農薬の供与については、FAOが開発途上国と進めている防除管理の中で、日本政府が農薬の供与を検討する際は、FAOと日本政府、JICAとが十分協議し、供与農薬が環境や人間の健康に悪影響を与えない条件を満たさなければならないと述べ、また、この際NGOの協力が役立つ旨指摘した。 

 この協議では、被援助国の大使らは、KRIIによる肥料や農薬の必要性を強調したが、NGOは、KRIIの問題点を指摘しつつ、その廃止を主張した。

 第2回目の日本事務所の出席は、2003年12月に行われた協議で、農薬に関する国際会議に本部から出張していた農業局バグート課長も参加した。議論はかなり集約されており、外務省はKRIIの援助方式を大幅に改善するので、その悪影響は回避できると説明し、NGOもこれに対しては異論がなかった。しかし、NGOは「KRII(食糧増産援助)」という名称は廃止すべきと主張した。従って、実質的にKRIIを存続させることにはNGOは同意したと感じた。


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