FAOへの拠出と日本人の採用(その4)

1義務的拠出(分担金)

                   
元FAO日本事務所長
                           橋 梯二
 

日本の政府開発援助は、1996年の145億ドルをピークに減少傾向に転じた。日本事務所が開設された1997年当時は、すでにFAOを含め国連機関に対する拠出金に対しても減額が始まっていた。

国連機関に対する拠出には義務的拠出の分担金(Assessed Contribution)と自発的拠出の2種類があるが、分担金は、国連憲章第17条(この機構の経費は、総会によって割り当てられるところに従って、加盟国が負担する。)に定められた加盟に伴う義務的経費である。その額は、加盟国の分担率に予算総額を乗じて加盟国に割り当てられる。分担率は加盟国の経済力などの支払能力を勘案して3年ごとに国連総会で決定され、各国連機関も分担率はこれに準拠している。現在、日本の分担率は20%弱であり、アメリカの22%に次いで大きな割合である。第3番目のドイツの分担率は10%ほどでしかない。日本とアメリカで国連の予算の40%強をまかなっていることになる。ちなみに、日本のFAOに対する分担金は、年間60から70億円である。分担金の増加を防ぐには、予算の増額を食い止めるしかないので、日本は、国連機関の肥大化を防止し、人件費を含む予算の増大に対してはこのころから一層厳しい態度で対応してきていた。

最大の分担をしているアメリカは、レーガン政権時代にアメリカの予算が厳しかったこともあるが、国連の意思決定に当たり、拠出額に関係なく一国1票の投票権であることなどに対する不満もあり、分担金の支払いの遅延をするとともに、平和維持活動に対するアメリカの分担率最高限度を25%に制限する94年外交関係権限法を議会で通過させるなどした。その後も分担率の引き下げなどを求めていた。1998年には支払い遅延額は20億ドルを超えていた。さらに、ユネスコに対しては1984年に脱退するという態度にも出ていた(2002年に復帰)。

日本は、そのおかれている国際的な立場からするとアメリカのように支払い遅延をすることはきわめて難しく、分担金が重荷になっていた。このような状況の中で、日本事務所設立以来、FAOの予算問題(分担金問題)は、終始、日本政府とFAOの間の解決の難しい問題であった。

なお、分担金は、一般には国連機関の通常予算の費用であり、人件費や一般的経費に充てられる。FAOの場合は、人件費のほかいわゆる規範的業務(Normative)といわれる国際的な規範・基準作り、国際会議の開催、調査の実施や統計資料の作成などに使われている。

2自発的拠出

一方、分担金以外に自発的拠出があるが、これは、国連機関から提案されるプロジェクトに対して加盟国が資金提供する場合と加盟国が特定の事業を国連機関に委託して実施してもらうために資金提供する場合とがある。さらに、資金の使途を特定せず拠出する場合もある。これらの資金は信託基金(Trust Fund)などと呼ばれることもある。FAOなどの国連政府間機関(専門機関)は、通常予算は分担金でまかなうが、現地プロジェクトなどは自発的拠出による資金でまかなわれる。FAOでは、自発的拠出による予算は、開発途上国に対する緊急救済・復興プロジェクト、食料安全保障特別プログラムなどの開発プロジェクト、特別調査などいわゆるプロジェクト経費に使われる。2003年の日本政府のFAOに対する自発的拠出金約束額は約17億円である。

一方、国連機関のなかで、国連児童基金(UNICEF,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連開発計画(UNDP,世界食糧計画(WFP)などの国連総会で設立された機関は、予算の大部分を自発的拠出に依存している。UNICEFを除き、それほど多くはないと思われるが民間からの支援もある。

義務的な分担金は減ずることが難しかったこともあり、日本の予算が厳しくなってからは、日本政府の自発的拠出の予算が、まずカットされた。


国連組織の機関の種類

国連組織には、機関としては、大別して国連政府間機関(いわゆる専門機関)と国連総会の決定による機関とがある。

国連政府間機関としては、ILO,WHO、UNESCO、FAOなどがあるが、世銀グループ、WTOなどもこの分類の機関である。それぞれ独自の加盟国を持ち、予算は全加盟国がメンバーである総会で決定される。また、事務局長もそれぞれの機関の総会で選出される。投票権は一国一票であるが、世銀グループは、拠出割合に応じて投票権が異なる。これらのいわゆる専門機関は、国連の設立された1945年以前に起源を持つものが多く、FAOの起源はルービンの呼びかけにより1905年ローマで結成された万国農業協会であり、WHOについては1892年の国際衛生条約で、ILOについては1919年のベルサイユ平和条約である。これらの専門機関は、国連本部とはやや独立した機関となっている。

一方、国連の総会で設立が決定された機関は、UNICEF、UNDP,UNHCR,WFPなどで、戦後、国連の活動の必要性に応じて設立された。

UNICEFは、1946年に設立された国連児童緊急基金を引継ぎ、1950年の総会で決議され、国連児童基金とされたが、略称はUNICEFが継承された。WFPは1961年の国連総会で決議され、3年の試行期間をおいて、国連とFAOの共同の計画として設立された。UNDPは、技術協力活動推進のための中心的な資金提供機関として1996年の総会で設立された。難民問題を取り扱うUNHCRの設立は1946年である。従って、これらの組織はその性格上、「機関 Organization」という名称は原則として使っておらず、「計画」、「基金」、「弁務官事務所」などの名称が使われる。機関の長の名称は、基本的にはExecutive Directorであり、国連事務総長の任命である。これらの機関は、事務総長の直属の執行機関的な意味合いが強い。

3 FAOの合理化

ディウフ事務局長は、1994年に事務局長に就任以来、 FAO合理化を進め、人員の削減、予算の節約、地方分権化を進めた。その結果、人員については、1994年に5,561人であったものを2002年には3,950人とし、30%のカットを行った。分担金による通常予算は、1994/95年度で67,000万ドルであったものを1996/97年度予算では65,000万ドルに減少させ、その後、ほぼ同水準を維持している。従って予算は実質で見ると1994年時点に比較し、15%の減少になっている。一方、自発的拠出からなる特別予算は増加し、2002/03年度では通常予算を上回る71,800万ドルとなっている。

地方分権化については、現場に密接した活動を強化するため、技術協力や政策協力などの人員を本部から地域事務所等へ配置換えをし、その結果、地域事務所等の専門家の数は81%増加した。また、プロジェクト管理等に関する権限を本部から地域

   FAOの人員削減と予算の合理化

                      単位: 人員 人、予算100万ドル

    人員

予算

 

    年 

人員

通常予算

(分担金による)

特別予算

(自発的拠出による)

名目

実質

1994


1995

5,561

5,065

1994/95

 

673.1

 

673.1

 

474

 

1996

1997

4,708

4,419

1996/97

 

650

 

616.2

 

412.9

 

1998

1999

4,375

4,268

1998/99

 

650

 

592.2

 

498.2

 

2000

2001

4,050

4,012

2000/01

 

650

 

587.6

 

609.9

 

2002

 

3,950

 

2002/03

 

651.8

 

587.6

 

717.7

 

   資料:加盟国に奉仕するFAO、FAO 2003 

へ委譲した。日本事務所やEU対応のブラッセルの事務所の設立も地方分権化の一環であった。

支出の削減については、印刷物の電子情報への切り替え、ビルの維持費用のアウトソーシング、国際旅費の削減などにより、年間1000 万ドル(約12 億円)の節約を行った。特に、国際旅費については、厳しい運用をしており、国際会議への出席は原則として1名とし、事務局長でも海外出張は単独か、随行者がいても1名である。また、あらゆる分野で情報化を進め、特に、農林水産業に関する情報を提供する世界農業情報センター(WAICENT)をインターネットで開設し、今では、これに対するアクセスは月間3200 万件に達している。

4 FAOの予算増額の要請と日本政府の厳しい予算

 FAOとしては、以上のような事務の合理化と定員の削減を行ってきたが、予算を名目で据え置いたため、実質ではかなり低下し、予算を増額させないと、さらに人員が減少し、事業費もきつくなり、FAOの機能が十分果たせなくなることから、予算の増額を主要ドナー国に要請した。しかし、日本の財政事情は厳しさを増しており、予算の増額を認め、分担金が増額することは極力避けなければならない状況にあった。日本事務所としては、日本の厳しい財政状況やODA大綱の改正などを逐一FAO本部に報告した。これに対し、本部からは他の国連機関の予算はこの5年間で増額しているのに、FAOは事務局長就任以来据え置いたままであること、FAOは世界180カ国以上の農林水産業をカバーしているのに、予算は年額400億円前後にすぎないことなどを日本政府に説明せよとの指令が来ていた。

 アメリカでは、クリントン政権下で、1999年に外交関係授権法がようやく議会を通過し、第1から第3トランシェにより、総額92,200万ドルの分担金滞納分の支払いができることになり、199912月に1億ドルの支払いが第1トランシェで行われたが、第2及び第3トランシェでは、アメリカの分担率の上限を22%に引き下げること、ILOWHOFAOの予算を名目ベースで増額させないことなどの条件をつけていた。2000年の国連総会でアメリカの分担率は22%となった。

5 国連機関の日本人職員増加の要求

日本では、公共事業予算の削減など予算が厳しくなってくるにつれ、ODA予算の削減のほか、ODAをもっと有効に使用すべきであるとの意見が国会、NGO、一般国民から強く出るようになった。それらは、日本の顔が十分見える援助とすること、日本の外交政策とできるだけ一致したODA配分とすることなどであったが、日本の分担金が20%近くにも及ぶのに国連機関での日本人の職員数が少なすぎるのではないかとの批判が国会等でも強くなった。特に、日本の安全保障理事会常任理事国の問題もあり、ODAの有効活用についての要求が一層厳しくなってきた。

国連では、分担率、人口の規模などを勘案して、国連事務局の専門職員について加盟国ごとの望ましい職員数を算出している。各国連機関も同様の方針を採っている。国連組織29機関の日本人職員(専門職以上)の数は、1990年から2000年まで間400

国連機関における邦人職員数(20041月現在)

  国連機関

(定員)

管理職

専門職

一般職

G.S

その他

 

合計

 

JPO

 

UN事務局 (15,082 )

うち女性

    5

   (1)

  88

  (56)

  19

  (12)

  4

  (1)

116 (70)

 3

  (1)

UNDP  (5,165 )
うち女性

    8

   (2)

  29

 (16)

   3

 (3)

  3

 (2)

  43 (23)

35

 (25)

UNHCR (4,408 )

 うち女性

    3

    (0)

 49 (30)

   8

 (5)

  2

  (1)

  62

(36)

  10

  (8)

UNICEF( 4,478 )
 うち女性

    4  

    (2)

  39

  (27)

  5

  (5)

  2

  (2)

  50

  (46)

  40

  (34)

WFP( 10,790 )

 うち女性

    3

    (1)

  18

  (9)

  4

  (4)

  4

  (2)

  29

  (16)

 

  11

  (10)

FAO (3,950 )

 うち女性

   6

   (0)

  34

  (12)

  1

  (1)

  3

  (2)

  44

(15)

  10

  (6)

WHO(3,831 )

 うち女性

   5

   (2)

  43

  (18)

  3

  (3)

  0

  (0)

  51

  (23)

  2

  (2)

ILO( 2,418 )

 うち女性

   3

   (1)

  41

  (25)

  5

  (4)

  3

  (2)

  52

  (33)

  6

  (5)

UNESCO( 1,983 )
 うち女性

   4

   (1)

  42

  (29)

  0

  (0)

  2

  (1)

  48

  (31)

  12

  (7)

国連計

 うち女性

 

  59

  (14)

 

  551

 (288)

 

  99

  (74)

 

  68

 (41)

 

777

 (417)

153

 (114)  

 

資料: 外務省国際機関人事センター、

注: ・国連機関の欄の(  )内は、専門職のほかに一般職、プロジェクト要員などを含めた職員数である。ただし、FAOの職員は専門職と一般職の合計である。出展は、「国際機関と日本」NIRA、田所昌幸、城山英明編及びFAO、WFPILOである。

・その他は、コンサルタント等の臨時職員である。

   ・JPOは、準専門家で、日本政府の費用で、2から3年国連機関に派遣される職員である。

から450人程度の水準で推移していたが、2001年から増加し始めた。それでも現在600人強である(20041月)。一般職を含めた全体では、日本政府の費用で派遣される準専門職員を除けば777人である。また、課長以上の幹部も59人とそれほど多くない。このように望ましい職員数より少ない状況をUnder representationという。従って、日本政府は、2000年前後から日本人職員の採用の増加を各国連機関に強く求めてきていた。

FAOについては、望ましい日本人の専門職の数は、年によって多少変動するが、120人から160人程度とされている。しかし、2000年末で日本人職員は専門職以外も含めて33人のみであったFAOとしても日本人の採用を増大するよう努力はしていたが、FAO専門職は、多くの専門分野に分かれており、その分野の専門家でかつそのランクの空きポストに適合する日本人をタイミングよく見つけるのが難しかったこと、一般には1ポストに400人以上もの応募があるので、国際経験も豊かで語学力のある日本人以外の多くの候補者がいることなどから、日本人の採用がそれほど多くはならなかった。

これに対し、日本政府は、日本がFAOに対し、年間100億円近い拠出をしているのに、日本人の職員がこれほど少ないのは、国会や国民(納税者)に対して説明がつかないと再三FAOに強く訴えていた。また、FAO本部及び日本事務所はFAOの飢餓からの解放などの活動についてさらに日本国民に十分理解してもらうよう広報活動を強化すべきと申し入れてきた。

6 リクルートミッションの日本への派遣

FAO日本事務所は、2001年後半、外務省国際機関人事センター、農水省などの協力をえて、日本人の候補者の発掘のため、大学、研究機関のほかJICAやその他の国際協力機関を訪問し勧誘を行うこととした。また、本部には、機会をみて採用ミッションを日本に派遣してほしいことなどを要請した。

本部は、今までの採用方針では、日本人の採用があまり増加しないと判断し、政府関係者以外の若い専門家も積極的に採用するとの前提で、採用ミッションを2003年早々日本に派遣することを伝えてきた。本部からの指令に従い、日本事務所は、日本の日刊紙と英字新聞で、空席ポストとに応募する人と具体的空席ポストは決まっていないが、若い専門家(原則として35歳未満)で将来FAO勤務を希望する人に面接する旨の広告を出した。外務省からも同様の広報を行ってもらうとともに、海外にいる日本人に対しても国際機関人事センターのルートを通じて広報してもらった。

応募者は、海外にいる日本人を含めて全体で380人あり、そのうち121人について面接を行うことが決定され、日本では89人が面接の対象になった。野村FAO水産局長を団長とする採用ミッションは、2003年1月13日から17日までの間に73人について日本事務所で面接を行った。

面接で優秀と評価された候補者をFAOの関係部局に伝え、具体的空きポストが生じた場合これらの候補者を優先候補者とすることとした。(また、日本人に対しては、国連第2公用語と国際経験の条件を緩和する措置をとった。)このような努力もあり、200310月までに13人の日本人の採用が決定された。

しかし、20041月時点で日本人職員は44人しかおらず、WHOやILO、UNESCOなどの他の専門機関と比較しても、なお、少ないと思われる。FAOとしてはできるだけ多くの日本人を採用したいと思っており、多くの人の応募が期待される。

なお、200311月FAO総会で決定された2004/05年度通常予算は74,900万ドルであった。この額は、ユーロの上昇に伴う実質ベースで5,100万ドルの減少であり、FAOは一層の定員削減を行わなければならないことから、定員の見直しを行うまで新規採用をしばらく凍結した。


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