食品のリスク分析手法の形成とゼロリスクの取り扱い

                            高橋梯二

1.科学に基づくリスク評価の必要性とリスクの概念の形成

科学を基礎とした近年のリスク評価政策は、1980年代の空気、水、及び食品における化学物質の人間の健康に対する影響の科学的評価から始まっているといえよう。特に、ベンゼン、サッカリン、ホルムアルデヒド、アスベストスなどの発がん性があるとされる有害物質のリスク評価が問題となっていた。1970年代までは分析手法も十分発達しておらず、分析にも長時間かかり、また、データも十分に蓄積されていなかった。したがって、科学的にリスク評価するといっても実用のものとならない面があった。1970年代後半から1980年代に入ると科学技術の進歩により分析技術も発達し、信頼性が高く政策決定の判断材料となりうる科学的リスク評価が可能となってきた。

特に、環境保護庁が環境政策の強化により1980年に職場のベンゼン濃度基準を1/10に減ずる規制を導入しようとしたが、立証不十分として敗訴し, 1983年にもホルムアルデヒドの断熱材への利用禁止措置についても敗訴した。これらの訴訟が量的なリスク評価による科学的立証に対する関心を高めることになった。この頃から有害物質を中心にリスクの概念が従来の保険に関連して使用されていたリスク及び経済学上議論されてきたリスクとは異なるリスクの概念が次第に形成されていった(辛島恵美子)。

2.アメリカのNRC(国家研究委員会)のリスク評価についての勧告

1981年にアメリカ議会はFDAに対してリスク評価についての検討を勧告し、これに基づいて1983年に国家研究委員会(National Research Council)から主として発がん性物質など有害物質についてのリスク評価に関する勧告書がまとめられた。勧告の内容は、リスク評価は規制当局から切り離して純粋に科学的に評価が行われるべきということが中心となっている。この勧告書が環境における有害物質や食品における化学物質を中心とする科学的なリスク評価の発展の契機になったといわれている。

3.ゼロリスクの問題とゼロリスク政策の放棄

これに伴って問題となったのは発がん性物質には閾値が無いという前提で取り扱われ、動物実験で発がん性の認められた物質の食品への添加が1958年以来禁止され(デラニ―条項)、ゼロリスク政策がとられていたことである。放射性物質も閾値がないと考えられていた。 しかし、分析技術の発達によって多くの食品にも発がん性物質が含まれていることや自然界にも多くの発がん性物質が存在することが分かってきた。このような状況の中で、ゼロリスクを追求すると、食品添加物や農薬その他の化学物質の多くが使えなくなり、また、アフラトキシンなどの付着した食品を全面禁止するとかなりの食品の摂取を禁止しなければならないということにもなり、現実的でないということが次第に認識されてきた。したがって、1973年にFDAは、発がん性物資についての閾値がない前提での容量―反応(dose response)の考え方を一部修正した。つまり、食肉について癌のリスクを一生涯において1/100万以下であれば許容すべきことを提案した。この程度のリスクであれば許容されるはずであるというFDAの主張であった。

以上のような状況の中で、リスクがあるかないかの判断でなく、リスクを科学的に評価し、その上で、ゼロリスクではなく「受け入れ可能なリスク」を決定していくというリスク評価が採用されるようになったのである。このためには、リスクを定量的に評価する必要が出てきた。人間は従来から生きていく上で、リスクという言葉はないとしてもそれなりにリスクを考え危険を回避する行動をしてきていたが、このような事情からリスクを明確に定義する必要が生じたといえる。これは、ゼロリスク追求の放棄と関連しているのである。したがって、食品に適用される新しいリスクの定義は、まだ30年ほどの歴史しかない。

発がん性物質に関しては、低濃度領域における用量―反応の数理モデルから、一生涯食べても100万人に一人あるいは10万人に一人の影響しか見られない濃度を、実質安全量(VSD: Virtually Safe Dose)とし、この基準によって発がん性物質の使用を可能とするという方法もとられるようにになった。これを、自然界における発癌性物質の存在によって生じる影響程度は許容すること以外に道はないという考え方であるとする人もいる。したがって、デラニ―条項は1996年に廃止され、ゼロリスク政策は放棄された。

以上のようにして形成されてきた科学によるリスク評価を基礎とし、その後、リスク評価に基づくリスク管理が加わり、さらにリスク評価とリスク管理の理解を高めるためのリスクコミュニケーションが追加され、リスク分析手法が確立していった。

このようなリスク及びリスク評価の形成の経緯については西澤真理子氏が次のように分かりやすく説明している。

資料 1

食品にもリスクはあります。もし食品のリスクをゼロにしようとしたら、食べられるものがなくなってしまいます。ですから、食品の科学的評価においても、リスクがゼロではないことを前提としなければなりません。これらのことから、安全な生活と環境を維持するために「ゼロリスク」を目指すのではなく、まずは「リスクの程度を科学的に評価しよう」という、「リスク評価」の考え方が生まれました。リスク評価は、安全な環境や食品を提供するための、ひとつの目安となるのです。

1915 年、うさぎの耳にコールタールを塗ると発がんすることが分かったのをきっかけに、発がんに関する実験が行われるようになりました。がんを起こす物質のほとんどは合成化学物質であるとされ、合成化学物質を禁止すれば発がんは抑制できると考えられたのです。
 その結果、1958 年米国で「デラニー条項」が制定され、動物実験で発がん性を示した物質は食品添加物としての使用を禁止されました。デラニー条項は、ゼロリスクすなわち、どんなに微量であってもリスクが認められる限り食品に使用してはならない、という発想で制定された法律です。
しかしその後研究が進むにつれ、動物実験で発がん性を示すものを発がん物質と仮定すると、
「環境中の水にも空気にも」そして「ほとんどの食料品にも微量の発がん物質が含まれている」ということが分かってきたのです。また、発がん物質(発がんハザード)の中にも、物質ごとにがんを引き起こす強さの程度に差があり、実際に発がんする確率は、その強さと量(ばく露量)によって決まることも分かってきました。これらの発見により、ゼロリスクを前提としたデラニー条項は 1996 年、廃止されました。
リスクをゼロとするための管理は、非現実的であるという考え方が広まってきたのです。
そこで、食品に含まれる化学物質に対するリスクの大きさを

リスクの大きさ(高さ)= ハザード X ばく露量

で考えていくことになりました。つまり、化学物質のリスクの大きさは、主として「ハザード」の性質と「ばく露量」、ばく露の方法や遺伝的背景によって決まるということです。

4.ゼロリスクを求めることの難しさ

従って、リスクゼロを求めるのは経済的にも極めてコスト高になり、技術的にも難しい,

ひいては現在の便利な食生活を犠牲にすることになるのであきらめ、その代わり、科学をベースとした客観的なリスクの評価をし、受け入れ可能なリスクを選択し決定していくこととした。受け入れ可能なリスクの決定に当たっては社会的、経済的観点や消費者の懸念の程度などが考慮されるほか、当然、実行可能かが勘案される。つまり、リスクをゼロにすることではないのである。リスクをできるだけ少なくした受け入れられるリスクということである。現実に食品における放射能の基準や牛肉の30か月齢基準にしても受け入れられるとされるリスクの基準であって、ゼロリスクではないであろう。

リスク分析手法は、食品について我々はリスクが存在する中で、リスクとともに生活していかなければならないことを意味し、リスクをゼロにしようとすると、合理的な価格のおいしい食品、利便性の高い食品を犠牲にすることになり、両者はトレードオフの関係にあることを意味している。現代の便利な食生活を選択してきたのは、消費者であり、それに応えてきた事業者である。

(5)許容量という概念に対する批判

しかし、このことを鋭く批判する人もいる。たとえば、前に述べたようにウルリヒ・ベックは、添加物の許容量は毒物の使用を認めたことであり、許容量以下であればいくら使ってもよいというお墨付きを与えたことになると許容量(受け入れられるリスク)という概念を強く批判している。

しかし、このように「安全」、「安心」の名のもとにゼロリスクを主張するのは、現実を無視した議論ではないかと感じる。現実をもっと直視しなければならないと思われるのである。我々は、現代産業社会の中ではリスクを完全に排除することはできず、リスクと向き合い、現在の食品安全のでき得る範囲あるいは限界の認識の上に、リスクを正しく判断して対応していかなければならないのである。

なお、科学者が添加物などについて科学的に安全と評価されているという理由で消費者を説得しようとし、消費者のゼロリスク願望は理解できないとする傾向がある。さらに、学校の先生が児童に添加物は危ないと非科学的な教育をしているせいであると批判する人もいる。しかし、この問題は、科学の問題というより本質は安全に関する哲学あるいは思想の問題である。したがって、科学者も科学によって安全がすべて確保できるというような説明でなく、科学によってもリスクをゼロにするのは難しい、あるいは、科学でも安全であるかどうかを判定するのが難しいことがある(相加、相殺、相乗的な毒性を評価することは非常に困難など)などの科学の限界を消費者にまずわかってもらう必要があろう。その上でゼロリスクを前提とする「安心」は、現実と矛盾することを認識してもらう必要があろう。この現代の安全確保の基本的枠組みと思想が十分理解されれば「安心」が暴走することなく、その限度が認識されるようになると思われるのである。

以上、食品に関するリスクの概念と科学的リスク評価の形成過程を説明してきた。しかし、日本では、ここで説明したリスク評価を中心としたリスク分析手法の基本的性格について国民に分かりやすく丁寧に説明されているとは思われない。「食品安全は科学に基づいたリスク評価によるべきであり、ゼロリスクはありえない」と説明され、続けて「砂糖や塩にもリスクがある」などと説明されている。これでは、ゼロリスクがないということが何を意味しているのか国民にとってはよくわからないのである。かえって、科学者や行政の言い訳と捉えられかねない。

資料 2

アメリカの国家研究委員会National Research Council 連邦政府におけるリスク評価:管理過程Risk assessment in the federal government: managing process ,1983)」の要約の概要

1状況

科学と政策との関係、つまり、有害物質の癌及び他の健康への影響についてのリスク評価を分析することにある。健康に関する危害物質の規制に関する連邦機関の決定については、意見の違いがあり議論がなされてきた。この問題が生じてきたのは、@危害化学物質の検出に関する科学的・技術的改善、A健康の保護に関する公共の期待と懸念の変化、B規制政策の便益とコストが住民グループに不平等に及ぶという事実からである。

2検討の目的と範囲

議会の指示に応えるため、健康に対するリスク評価の制度化に関する委員会が設けられた。特に、発がん性物質及び大きな問題となっているサッカリン、アスベストス、ホルムアルデヒドに対応することであり、リスク評価に対する批判は広くある。委員会の目的はこのような状況に対応してリスク評価の制度的なアレンジメントと手続きを検討し、規制の効果を改善することにある。

3リスク評価の性格

リスク評価は、

@    危害の特定(危害因子は何か)

A    容量反応dose-response、摂取量と病気との関係)

B    暴露量評価(規制前と規制後の暴露量)

C    リスクの性格(人間へのリスクの大きさ)

である。

  リスク評価政策は、リスク管理につきまとう社会的、経済的政策事項からの判断を切り離すものである。

4リスク評価の統一的ガイドライン

 ここ20年以上にわたって、有害化学物質のリスク評価についてほとんどの規制当局は、推定のガイドラインを発展させてきた。しかし、これらのガイドラインは互いに大きく異なり、総合的で詳細なものもあれば、単に一般的な原則に関するもののみの場合もあった。また、あるものは、正式な規制として取り扱われるものであり、そうでないものもあった。委員会は、規制当局、関係事業者及び一般消費者にとっても有益で明快なガイドラインの作成は可能と考え、また、このガイドラインは政府の機関が統一的に使用すべきものとの結論に至った。

5リスク評価の制度的な調整

以上のような制度化は、次のような方向で行われるべきである。

(1)    リスク評価をリスク管理から分離すること

(2)    リスク評価活動を単一の機関に集中すること

6結論及び主要な勧告

委員会は次のように勧告する。

(1)    規制当局は、リスク評価とリスク管理との概念的な分離を行うべきである。つまり、リスク評価に含まれる科学的事実は、政治的、経済的、技術的考慮とは明確に切り離すべきである。

(2)    リスク評価方法において、連邦の規制当局が使用するための統一的な推定のガイドラインを策定すべきである。

(3)    議会に、@科学を基礎としたリスク評価方法を発展させること、A推定に関するガイドラインを作成し改定すること、Bガイドラインの有効性を評価すること、Cリスク評価の分野における必要な研究を特定することを目的とするリスク評価に関する委員会(Board)を議会に設けるべきである。


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